第一章 終電の男

加藤誠一は、五十三歳にして初めて、空を飛ぶ生き物を路地裏で拾った。

 時刻は午前零時を過ぎていた。山手線の終電を乗り過ごし、新橋から虎ノ門まで歩いていた誠一は、背広の肩に雨粒を受けながら、コンビニの袋を片手にぶらぶらと歩いていた。胃薬と缶ビールと、割引シールの貼られた幕の内弁当。それが五十三年生きてきた男の、今夜の戦利品だった。

 異変に気づいたのは、ビルとビルの間の細い路地からだった。

 何かがうずくまっている。最初はカラスかと思った。黒くて、翼があって、羽をたたんで地面に落ちている。しかし近づくにつれ、それがカラスではないとわかった。大きさはカラスほどだが、羽の色が違う。灰色というより、夜明け前の空のような、青みがかった深い灰色だ。そして何より、その生き物は声を上げていた。

「……たすけ、て」

 誠一は立ち止まった。

 確かに聞こえた。人間の言葉だった。しかも、か細い子どもの声で。

 誠一はしゃがみ込み、恐る恐るその生き物を覗き込んだ。翼の間から、小さな顔が見えた。人間の子どものような顔だった。瞳は金色で、こちらを見上げている。傷ついているのか、翼の一部が不自然な方向に折れ曲がっていた。

「……きみ、は」

 誠一が呟くと、金色の瞳がぱちりと瞬いた。

「人間?」と生き物は言った。「いい人間? 悪い人間?」

 誠一はしばらく考えた。

「……どちらかといえば、いい人間だと思う」

「じゃあ、助けて」

 誠一は胃薬を一錠飲んで、その生き物を上着の中に包んだ。


第二章 部屋に来た客

 ワンルームマンションの六畳間に、翼の生き物を連れ帰ったのは、生涯でもっとも非合理的な判断だったと、後に誠一は思うことになる。しかし、その夜の誠一に合理を求めるのは酷というものだった。妻には三年前に逃げられ、子どもたちは独立し、会社では若手に仕事を取られ続けている。誰かに「助けて」と言われたのが、久しぶりすぎたのだ。

 タオルで包んだ生き物を、誠一はローテーブルの上に置いた。翼の骨は折れてはおらず、ただ捻挫のようなものらしかった。弁当の米粒をやってみると、むしゃむしゃと食べた。

「名前は?」と誠一は聞いた。

「ルア」と生き物は言った。「守護鳥。東京の守護鳥」

「東京の?」

「この都市には、守護鳥が十三羽いる。空の境界を守っている。昨日、一羽がやられた。あたしが次の標的だった」

 誠一は缶ビールを一口飲んだ。

「……やられた、というのは?」

「羽を奪われた。羽を奪われると、消える。境界に穴が開く。穴が開くと、下から来る」

「下から?」

「地の底から。古いもの。眠っていたもの。東京の地下には、ずっと昔から眠っている何かがいる。封じていたのは守護鳥たちだったけど、もう残りは十一羽。あと四羽やられたら、封印が解ける」

 誠一はしばらく黙っていた。

「……警察に言うべきか」と彼は言った。

「人間の警察には見えない」

「自衛隊は?」

「見えない」

「じゃあ俺にはなぜ見える」

 ルアは金色の瞳で誠一をじっと見た。

「あなたは、選ばれたから」

 誠一は残りのビールを一気に飲み干した。胃が痛んだ。